ホーム > 特定非営利活動法人 日本補助犬情報センターについて > 設立の経緯
盲導犬、聴導犬以外の介助犬の歴史は盲導犬よりも約50年遅い1970年代にアメリカで始まったと考えられています。欧米には現在多くの育成団体があり、介助犬の育成を行っています。全米では1000頭以上の(肢体不自由者の)介助犬が実働していると推定されます。しかしながら、世界各国においても介助犬の明確な基準、介助犬トレーナーの認定や資格は存在せず、そのため介助犬の質の確保やその処方の仕方、継続教育やアフターケアに関する杜撰さが指摘され始めました。
わが国では数年前より聴導犬、介助犬の民間育成団体の活動が始まっておりますが、実働数は10頭に満たないと推定されます。また、介助犬使用者は店舗や交通機関等、社会生活上最低限必要な場においても個々に介助犬同伴での利用を交渉しなければならず、介助犬同伴であることが返って負担となっているというのが現状です。
介助犬はこの数年メディアにも良く取り上げられるようになり、社会の関心も高まっております。しかし、前述の通り「介助犬」の定義、基準もなく、質の保証もなされないまま、ADA法の様に障害者の人権を守る法律もないわが国で介助犬使用者が円滑に社会参加を果たすことは困難です。
医療従事者、獣医医療関係者など介助犬が正しく社会に認識されることを目指す有志が集まり、1997年4月にアメリカ、デルタ協会内にあるナショナル・サービスドッグセンターのコーディネーター、スーザン・ダンカン女史を介助犬ジョイとともにお招きし、厚生省を始め各都府県、医療、獣医医療、障害者団体等多くの団体からのご後援の元、各地で介助犬に関する講演会を開催しました。
外国から介助犬が来日するのは初めてであったため検疫を始め交通機関での受け入れなど、交渉は多岐に渡りました。ダンカン女史は看護師で多発性硬化症による障害のため介助犬と生活しています。 1994年からナショナル・サービスドッグセンターで介助犬の啓発・普及活動に取り組み、多くの介助犬ユーザーからの育成団体や社会の受け入れに関する苦情や相談、社会からの受け入れに関する相談や教育などを行い、ジョイと共に全米各地、スイス、スペイン等にも活動を展開させています。
講演会の中でダンカン女史は自身の経験から、まず介助犬を受け入れる社会を作らなければ、介助犬は障害者にとって負担にしかならないこと、そして介助犬育成及び訓練は医療としてのチームアプローチがなされなければならないこと、を強調されました。
講演会には全国で1200人以上の参加者があり、多くの反響を得ました。また講演会の後、講演会実行委員会事務局には多くの問い合わせや相談が寄せられました。ダンカン女史の教えを日本の介助犬の将来に活かすべく、前実行委員にさらに多くの医療・獣医医療関係者、介助犬使用者、トレーナー、行政関係者等が加わり、1997年12月、日本介助犬アカデミーを設立するに至ったのです。
1997年設立時より介助犬法施行に向けて取り組んでまいりましたが、その過程で盲導犬・聴導犬も盛り込み、補助犬法の成立を目指す事となりました。そうして、多くの当事者の皆さんの力が結集され、補助犬ユーザーにとって悲願の法律「身体障害者補助犬法」が2002年05月22日に成立しました。当時、障害者差別禁止法の無かった我が国では、初の障害者のアクセス権を認めた画期的な法律でした。しかしながら、法成立から13年以上経過した今(2015年現在)も、補助犬の同伴拒否はなくならず、全国の補助犬ユーザーからの相談も多く寄せられています。また、受け入れ事業者側からの補助犬受け入れに関する相談、受け入れ検証などの相談も年々増えて参りました。今まで以上に第三者機関として幅広く相談・情報提供事業を実施すると共に、唯一犬の訓練をしていない専門機関として厚生労働省や自治体等と連携をとり、中立の立場からの補助犬の社会参加を推進する事を目的とした組織として、社会に更にわかり易く伝えるため、2015年07月に名称を「日本補助犬情報センター」へ変更しました。